うなぎ雑学

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三島の浮世絵

うなぎ 浮世絵 東海道五十三次内 三島沼津間 傾城 喜瀬川 嘉永5(1852)

題名 東海道五十三次内 三島沼津間
「傾城 喜瀬川」

年代 嘉永5(1852) 11月
絵師 豊国三代
版元  井筒屋 庄吉


この浮世絵も「役者見立東海道」の五代目瀬川菊之丞を画いたものだそうです
役者見立東海道の最後の間の宿のシリーズになります

天保の改革(1841年)以降は倹約令のおかげで役者名を書けなくなりますが
 逆に書けなくなったおかげで
歌舞伎役者の名前を書かなくてもわかるように役者を大きな似顔絵で書き、
地名や演目にゆかりのある歌舞伎役者を画きました
それが謎解きとしてもうけ、130を超える「役者見立東海道」のシリーズが出版されました

黄瀬川と歌舞伎役者「瀬川菊之丞」の瀬川をかけて画いたのもわかります
 瀬川菊之丞も女形の大名跡ですから傾城の姿をしているのもわかります

けれども
地名と役名が書かれている縁取りにヒントがあるそうなんですが
歌舞伎や浄瑠璃の演題や内容がさっぱりわかりません

黄瀬川は源頼朝が富士川の戦いの時に陣を置いた場所で、すぐそばの八幡神社には義経と
再会した対面石があります また、曽我兄弟の話は役者見立てでも
画かれています 富士の夜襲の仇討ちの場面 仇の工藤祐経が王藤内と、酒の相手に
手越宿と黄瀬川宿の遊女が居合わせていますので、その喜瀬川かもしれません

「傾城 瀬川」で検索すると九代の瀬川が確認されているそうです
その代表的な特に亡夫の敵を討ったという仇討瀬川
下総国の農民の出ながら才女として知られた江市屋瀬川
鳥山検校に身請された鳥山瀬川
(3名は創作の題材となり著名)
「ウィキペディア」の情報で申し訳ないです
このうちのどれかかもしれません

この浮世絵だけが見つかりません、見つかりましたら画像を変更します







































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