国際日本文化研究センター
怪異・妖怪伝承 データベース
より
鰻屋大鰻 怪談
その1
東京都
要約
天明年中、ある者が鰻を仕入れたが買った覚えのない大鰻が2匹混っていた
裂こうとしたが手慣れているにもかかわらず錐で手を刺してしまった
他の者がさばこうとすると腕に巻きついてきて、尾で脇腹を打ってきた
助けるつもりはないからおとなしくしろと言ったら料理できたが、死体を焼く匂いがした
その夜丑3つ時のころ、鰻の生け簀の所でおびただしい音がして驚いて行ってみると、
上にのせた石はそのままだった。中を見ると多くの鰻が蛇のように睨んだ
もう1匹の大きな鰻は消えていた
論文名「兎園小説余録」執筆者 滝沢馬琴
参考資料 日本随筆大成第2期・5巻
鰻屋 怪談
その2
東京都港区麻布
要約
江戸の麻布で、鰻屋がある時狂乱してまな板の上に臥し、
包丁を喉に突き立て腹まで裂いて自分は鰻であるといって死んだ
数十年間生き物を殺しつづけたためだろう
論文名「中陵漫録」執筆者 佐藤成裕
参考資料日本随筆大成第3期3巻
その1
「兎園小説余録」は、滝沢馬琴(曲亭馬琴)が中心となってまとめた
随筆集「兎園小説」の一部で、「本集」などに続く後補篇にあたり、
本集に入りきらなかった話や後日談的な記事などを収めたものです
「兎園小説」全体は、馬琴ら好事家が参加した集まり
「兎園会」で披露された珍談・奇談・異聞などを、馬琴が編者として整理したものです
この話は有年が語った「鰻鱧の怪」として紹介されます
「兎園小説」が文政8年(1825)で天保四年(1833)には全十二巻と外集・別集・拾遺・余録を
備えた形で成立しているとありますので「兎園小説余録」は天保四年(1833)までには書かれています
昭和女子大学図書館デジタルアーカイブ
より
話者「鈴木有年」は馬琴の友人として「吾友鈴木有年、名は秀実、俗字は一郎」
とあり、続けて「東台…」と東叡山関係の家来筋であることが記されています
馬琴資料
より
その2
その2は、佐藤中陵『中陵漫録』にある「鰻鱺の奇話」とされる話の一部です
草思社のblog
より
「兎園小説余録」は文政8年(1825)~天保四年(1833) 「中陵漫録」は文政9年(1826年)ですので
ほとんど同時に刊行されたことになります
この本が刊行された文政の頃は
天保の大飢饉までは度々起こった飢饉もなく、いままで押さえつけられ蓄積されていた料理文化が
いっせいに華をさかせた頃です
鰻屋も蒲焼しか売らない高級店の他に、うな丼として提供する庶民が食べる飯屋が登場し
「江戸の四大食」と呼ばれ、鰻料理人は花形として役者絵に書かれた時代です
「鰻鱧の怪」や「鰻鱺の奇話」は、「職業として大量に鰻を殺す人」にたいして
鰻が報復するという、鰻屋が多く存在する大都市型の怪談になります
個別の鰻屋怪談というより、「鰻=祟る」という観念が
当時の多くの人に深く浸透していたためと、急激に発達し人気を集めた鰻屋が
組み合わさり誕生した「大都市型怪談」だったのではないのでしょうか
近くの名所
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麻布 有栖川宮記念公園
麻布 国立新美術館
六本木
【東京都 郷土料理 ご当地グルメ2】
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