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忠臣蔵 二段
国美 画 明治初期
富山売薬版画
国美は「
神功后皇 武内宿禰
」を画いた国義と同一人物です
江戸末期から明治の浮世絵師で富山で売薬版画を手がけていました
「守美、守義、応真斎守義、応真斎、応真斎国美、国美、国義、応真斎国義」と画号があります
「神功后皇 武内宿禰」を画いたのは江戸末期ですが、明治に入り
輸入のアニリン染料による鮮やかな赤色を使いだします
アニリン染料の赤色を突出して「赤」を使いだすのはカラーがまだない白黒の時代に
「赤」は屋内に飾られる貴重な色のために、お客さんが一番欲しがる色のためだと思います
詳しくは「
うなぎと梅干
」で紹介していますのでご覧ください
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赤絵ではアニリン染料と言われていますが、赤は石炭の廃棄物である
コールタールから生まれたアリザリンという化学染料のことです 1869年にドイツの
化学会社がアリザリン合成方法の特許をとり、安価に作れるためと
今までにない鮮やかな赤色であったため世界中でこの化学染料が流行します
日本だけでなく赤色カラーを求めていたのでしょうね
(参考資料 国立歴史民俗博物館研究報告 島津,美子著「幕末明治期の錦絵に用いられた色材調査 」と
英国ニュースダイジェスト)
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