
| 西暦 | 主な国内事情 | 食生活史 蒲焼の登場する文献 関東醤油史 |
| 1600 | 関ヶ原の戦い 東海道に五十三宿を確定 |
江戸鈴ケ森八幡神社前 茶見世が登場 |
| 1603 | 徳川家康、江戸幕府を開く | |
| 1612 | 宮本武蔵、巌流島にて 佐々木小次郎を破る |
屠牛を禁止 (凶作の為) |
| 1615 | 大阪夏の陣 武家諸法度、禁中並公家諸法度制定 | 明の商船が紀伊に来航し砂糖を販売する |
| 1616 | 家康(74歳)没 | 銚子の田中玄白の中祖が溜醤油を造り始める |
| 1619 | 菱垣廻船開始 | 関西醤油が市場を独占 |
| 1623 | 琉球で初めて砂糖が生産される | |
| 1624 | 武家の客饗応の制限がなされ、珍客・婚礼以外の時は、二汁五菜、酒三献肴二種とされた | |
| 1625 | 江戸日本橋に、魚物会所・魚市場が開設される | |
| 1627 | 朝鮮から琉球を経て西瓜の種が薩摩に伝わる | |
| 1634 | 曲直瀬玄朔著「日用食性」《鰻の料理法も》 | |
| 1641 | オランダ商館 出島に移動 | 前年の暮れから、諸国で飢饉 給米銭が支給され家門の饗応も二汁五菜に制限される |
| 1642 | 全国的な飢饉のため米価が高騰し、給米銭の支給・粥の施行がなされた。また、農民の主食は雑穀とし、温飩・饅頭・索麺・蕎麦・豆腐等の製造・販売が禁止され南蛮菓子の売買も禁止された 百姓に米の常食を禁止 |
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| 1643 | 田畑の永代売買を禁止 | 「料理物語」《鰻の料理法も》 |
| 1645 | 播磨赤穂藩で塩田の開発が始まる 紀伊広村の浜口儀兵衛が銚子に移住して醤油を造り始めた | |
| 1657 | 明暦の大火=振袖火事 | 明暦の大火後、浅草金竜山の門前に茶飯・豆腐汁・煮染・大豆等を整え奈良茶と称して売る店ができ、江戸市中に知られた |
| 1659 | 浅井了意(松雲)著「東海道名所記」 《挿絵に大皿に盛った丸のままの鰻の串刺しの絵》 | |
| 1661 | 江戸市中の茶屋・煮売屋の十八時以降の夜間営業を禁止 鰻の蒲焼きが鶴岡八幡宮の前の茶屋で売られた 野田の高梨兵左衛門が醤油を造り始めた |
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| 1663 | 幕臣・大名の饗応の奢侈を禁止し、三汁十菜もしくは二汁七菜を限度とした | |
| 1664 | 江戸で、けんどん蕎麦切りが始まる | |
| 1665 | 調理に用いる魚鳥・蔬菜の販売季節を規制し、古い生鰹を新しく見せて売ることも禁止した | |
| 1673 | 江戸日本橋で 越後屋(三越の前身)が開店 |
江戸浅草で正直蕎麦始まる |
| 1675 | 春、全国的に飢饉となり、江戸谷中で米五百俵を、京北野松原・四条河原で粥・米・銭を施行 | |
| 1681 | この頃江戸の名物として、日本橋塩瀬の饅頭、糀町のふのやき、池の端のねん安煎餅 芝の陣三官糖飴、飯田町壷屋の饂飩などが知られる |
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| 1682 | 江戸大火(お七の火事) | |
| 1683 | 時価による魚の値段が高騰したため、献上の魚類を含め、全国的に値上がりを禁止した | |
| 1684 | この頃より江戸大森で海苔を作り始める 黒川玄逸著「雍州府志」《蒲焼の名前の由来も》 |
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| 1686 | 野菜類初物禁止令(大陰暦) | |
| 1687 | 生類憐みの令 | 食料用として、魚・鳥・亀・鶴の飼育・販売を禁止した |
| 1689 | 五節供以外で食膳に酒を出すことを禁止 | |
| 1695 | 平野必大著「本朝食鑑」《鰻料理の宇治麻呂について》 | |
| 1699 | 旗本に倹約令、宴会では二汁五菜、後一種までとし、乱酔が禁止された 江戸では防火のため煮売りの内、夜間の辻売り、荷い売りを禁止 |
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| 1700 | 徳川光圀(73歳)没 | 林鴻作著「産毛」 《挿絵に鰻さきうり、かばやきが画かれている》 |
| 1701 | 浅野長矩が殿中でおこした刃傷事件 | 米穀欠乏のため飲酒が制限され、婚儀や重要な慶事以外の 酒宴は禁止 慶賀の贈物も酒ではなく樽代とした |
| 1703 | 秀松軒著「松の葉」《?》 | |
| 1706 | 錦文流著「熊谷女網笠」《物語》 | |
| 1709 | 鳥類・鰻・鯰・鰌の売買が解禁となる | |
| 1711 | 江戸両国橋東詰の松屋三左衛門が飛団子を考案 | |
| 1714 | 四条家高島著「当流改正節用料理大全」《献立》 | |
| 1715 | 著者不明「艷道通鑑」《京都の三条縄手の露天で鰻の蒲焼を売るとある》 | |
| 1716 | 吉宗の享保の改革(~45) | |
| 1717 | 大岡越前守(大岡忠相)、江戸町奉行に就任 | |
| 1718 | 鳥類減少のため、向こう三年間は鶴・白鳥・雁・鳧を贈答・食用とすることを禁止 浅草寺内の餅店の餅を伝法院僧正が浅草餅と命名 |
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| 1720 | 江戸町火消しいろは組を設置 | 鳥類の贈答が自由になる |
| 1723 | 山岡元隣著「増補食物和歌本草」《?》 | |
| 1732 | 享保の大飢饉(西日本の虫害) | 嘯夕軒宋堅著「料理網目調味抄」《蒲焼の説明》 |
| 1733 | 菊岡沾涼著「本朝世事綺談表題、近代世事談」《蒲焼の名前の由来》 | |
| 1735 | 青木昆陽、吹上苑での甘藷試植に成功し 救荒食物として担当奉行に施与以後薩摩芋として徐々に広まる |
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| 享保年間 近藤清春筆「江戸名所百人一首」に深川八幡宮で蒲焼と酒を売る絵 | ||
| 1741 | 十月~翌三月までの重要な宴会には、雁・鴨を用いた饗膳が許可される 魚鳥類・野菜の売買期日を定め、初物売りの利を抑制 |
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| 1742 | 魚鳥類初物禁止令(大陰暦) | |
| 1743 | 甘藷栽培を奨励 | |
| 1744 | この頃江戸の名物として、竹村の煎餅、回向院前の淡雪、深川いせやの笊蕎麦 湯島の油揚げなどが知られた |
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| 1751 | この頃江戸では、水茶屋葭簀、吉原五十軒編笠茶屋、浅草二十軒茶屋あんどう じがみ屋などが知られる |
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| 1756 | 長門府中の永富鳳兄弟が砂糖を製造 西村重長筆「絵本江戸土産」に鰻を売る船の絵 | |
| 1757 | 江戸真崎稲荷周辺に、田楽茶屋が数軒でき繁盛する | |
| 1763 | 伊勢貞丈著「貞丈雑記」《宇治丸の説明》 | |
| 1764 | 野田の茂木七郎右衛門が高梨兵左衛門と合同で醤油を造りはじめる | |
| 1765 | この頃江戸に料理茶屋がうまれた(蜘蛛の糸説) 浪花禿箒子著「新撰会席しつほく趣向帳」《献立》 | |
| 1766 | 平井満右衛門が江戸深川洲崎で塩焼を始めたことにより人が集まり大紋やという料理屋ができる | |
| 1771 | 東埔塞瓜の小さいものを唐茄子と称し各地に広まる 江戸で阿多福餅が売り出される『卓袱会席趣向帳』 |
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| 1772 | 田沼意次老中になる | |
| 1774 | 風来山人著「里のおだ巻」《江戸前鰻と旅鰻》 | |
| 1775 | 野田の大塚、杉崎、竹本、田中、の各家が醤油を造りはじめる | |
| 1776 | 聴霰子著「新撰献立部類集、上、下」《献立》 | |
| 1779 | 平賀源内没(52歳) | 大田覃著「一話一言」《?》 |
| 1781 | 二鐘亭半山著「見太京物語り」《蒲焼の関西風の中傷》 | |
| 1782 | 天明の大飢饉始まる | |
| 1784 | 田沼意知の暗殺 | 田信著「卓子式古式長崎料理」《鰻料理》 |
| 江戸浅草・心月院門前の与市が、菜(とこ)ろねの根を割麦のようにして食し 葛のように製し、食物にも糊にも用いられる工夫をしたという 根岸守信著「耳袋」 器土堂著「万宝料理秘密箱」(1785又は1800)《蒲焼の製法》 |
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| 1787 | 松平定信、老中になり、寛政の改革始まる(~93) 火付盗賊改方、長谷川平蔵 |
京伝著「通信総籬」《物語》 |
| 1789 | 棄捐令を発令 谷風、小野川、横綱の免許をえる |
江北雲太郎著「甘藷百珍」《献立》 |
| 1792 | 安房嶺岡牧場でバター(白牛酪)が製造される | |
| 1794 | 洋学者がオランダ正月を祝い、西洋料理を食す | |
| 1795 | 長谷川平蔵(50歳)没 | |
| 1796 | バター(白牛酪)が発売される | |
| 1797 | 藍江著「郭通遊子」《物語》 | |
| 1799 | 防火風紀の面から町の煮売商・荷い屋台の煮売、夜間の蕎麦切売などを規制 江戸王子村の料理屋、海老や・扇屋が開店 |
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| 1801 | この頃から江戸では、山谷町八百屋善四郎の八百善、深川土橋の平清 下谷龍泉寺町の駐春亭が開店し、化政期にかけて繁盛する 醍醐散人著「料理早指南」《献立》 |
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| 1802 | 浅野弥兵衛著「新撰包丁悌」《献立》 | |
| 1803 | 東雅著「素人包丁」《鰻の料理法》 杉野権兵衛著「名飯部類」《関西風のまむしの製法》 |
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| 1804 | 江戸では、うなぎ飯が始められ、深川六間堀に松ずしができる 大阪では、かすてら焼、橋々の豆茶屋が繁盛する |
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| 1809 | 和製の砂糖が菜種屋や砂糖屋で売り出され、江戸市中の菓子類に使用されるようになった 式亭三馬著「浮世風呂」(1809~1813)《蒲焼の東西の比較》 |
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| 1815 | 山東京伝著「骨董集」(1813~1815)《蒲焼の名前の由来》 高田松屋著「松屋筆記」《蒲焼の名前の由来》 |
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| 1817 | 喜多村節信著「瓦礫雑考」《蒲焼の名前の由来》 大田覃著「南畝莠言」《鰻の薬用について》 |
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| 1818 | 末年頃、江戸風の握り鮨が始まる 大田覃著「奴師労之」《長崎の鰻》 「江戸買物案内」(1818~1829)《鰻屋の屋号と所在地》 |
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| 1820 | 砂糖の取り引きが自由になる 江戸不忍池の南に、茶屋・料理屋が建ち並び賑わうが、天保年間には取り払われる |
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| 1821 | 野田の河野権兵衛、茂木勇右衛門が醤油を造り始める | |
| 1823 | 大田蜀山人(75)没 | |
| 1824 | 志賀忍著「理斎随筆」《蒲焼への中傷文》 | |
| 1828 | シーボルト事件 | |
| 1829 | 野田醤油の高梨兵左衛門、幕府御用達になる 厭離斉宗知著「遊歴雑記」《蒲焼の製法》 |
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| 1830 | 喜多村節信著「嬉遊笑覧」《蒲焼の歴史》 | |
| 1832 | 吉原の大火 鼠小僧処刑 | |
| 1833 | 天保の大飢餓始まる(~39) | 城北百拙老人著「世のすがた」《蒲焼屋の始めについて》 |
| 1835 | 江戸の葉茶屋山本嘉兵衛が玉露茶を創製 | |
| 1836 | 燕石著「神代のなごり」《蒲焼の名前の由来》 | |
| 1837 | 大我老圃著「天保佳話」《土用の丑と鰻の効用》 | |
| 1838 | 野田醤油の亀甲万印(茂木)、幕府御用達になる | |
| 1841 | 水野忠邦、天保の改革を始まる | |
| 1845 | 江戸では、「丸山名物まるまるだんよ」と詠われた、「まるぼうろ」という菓子が売り出された | |
| 1846 | この頃、江戸の流行物として、はじけまめ・島屋だんよ・稲荷ずしが知られる | |
| 1848 | 久松裕之著「近世事物考」《当時と昔の蒲焼の違い》 | |
| 1853 | 斉藤彦磨著「傍廂」《蒲焼の名前の由来》 喜多川守貞著「守貞漫稿」《蒲焼の名前の由来や鰻専門店の紹介、値段や調理法の関西との比較》 |
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| 1855 | 安政の大地震 | 地震後、江戸池の端の弁財天境内にあった料理屋はすべて門外に移転させられた。この頃、紅梅焼と称する菓子が売られる 西沢一鳳著「皇都午睡」《宇治丸とその値段のエピソード》 |
| 1856 | アメリカ総領事ハリス下田に着任 | 函館で外国人に牛肉の供給を許可 久須美祐雋「浪花の風」《?》 |
| 1863 | 薩英戦争。騎兵隊結成 | (1848~1859)青葱堂冬圃著「真佐喜のかつら」 《鰻めしの始めとその値段》 |
| 1864 | 池田屋騒動 | 幕府より、野田醤油の亀甲万、上十、木白、銚子醤油の ヒゲタ、山サ、山十、扇サ、の七印が 最上醤油として名称と価格の維持をゆるされた |
| 1865 | 宮川政運著「浴事百工起源」《鰻飯の始まりについて》 | |
| 1866 | 家茂(21歳)没 薩長同盟 農民一揆 | 横浜・江戸に弁当屋や洋食店(西洋料理店)が開業 |
| 1868 明治元年 鳥羽伏見の役(1月) 戊辰戦争の開始(~69)彰義隊の戦い(5月) 慶喜水戸へ退却江戸城開城 明治と改元 |
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| 慶長 | 1596-1615 | 元和 | 1615-1624 | 寛永 | 1624-1644 | 正保 | 1644-1648 |
| 慶安 | 1648-1652 | 承応 | 1652-1655 | 明暦 | 1655-1658 | 万治 | 1658-1661 |
| 寛文 | 1661-1673 | 延宝 | 1673-1681 | 天和 | 1681-1684 | 貞享 | 1684-1688 |
| 元禄 | 1688-1704 | 宝永 | 1704-1711 | 正徳 | 1711-1716 | 享保 | 1716-1736 |
| 元文 | 1736-1741 | 寛保 | 1741-1744 | 延享 | 1744-1748 | 寛延 | 1748-1751 |
| 宝暦 | 1751-1764 | 明和 | 1764-1772 | 安永 | 1772-1781 | 天明 | 1781-1789 |
| 寛政 | 1789-1801 | 享和 | 1801-1804 | 文化 | 1804-1818 | 文政 | 1818-1830 |
| 天保 | 1830-1844 | 弘化 | 1844-1848 | 嘉永 | 1848-1854 | 安政 | 1854-1860 |
| 万延 | 1860-1861 | 万久 | 1861-1864 | 元治 | 1864-1865 | 慶応 | 1865-1868 |
