うなぎ雑学





国際日本文化研究センター
怪異・妖怪伝承 データベースより



せめくらの滝
島根県松江市せめくらの滝

要約
せめくらの滝は尼子毛利の合戦の際、毛利の武将が自決した場所だという
昔この滝に耳のある大鰻がいた。武士の霊が渕の主になったといわれていた
旱魃の時に祭ると霊験があったが、いつの頃か大きい骨を残して死んでいた
また、鰻ではなく白鯰ともいう


論文名「水のまつり」執筆者 三宅博士
参考資料 山陰民俗39号※引用文献「意東村史」




意東村は中世「意東荘」と呼ばれた荘園で、戦国期には出雲・伯耆境に近い山城や交通路が
ひしめく地域でした 近くの福良城は尼子氏と毛利氏の攻防の中で重要な拠点となり、
尼子滅亡後は毛利家臣が支配したとされます

出雲各地では、敗れた武将や落ち武者が山中で自害したと伝える「首洗いの滝」「胴切りの滝」などの
伝承が多く、毛利方・尼子方いずれかの武将の最期を語る物語が各地に点在します 
これは出雲から石見・伯耆へ抜ける街道筋に特に多い話です
責鞍の滝がある「京羅木山越えの旧道」は、戦時の通行路であり、敗走や追撃戦と結びついた話が
生まれやすい場所だと言えます


責鞍の滝自体は現在は非常に小さく整備もされていませんが、「水のまつり」の文中では
「広さ十坪位で深渕をたたえ夏でも枯れることはない・・石棺を建てくつわを祀って・・(意東村史)」
と書かれています

また、二つの案内看板に伝承も書かれています

滝の誘導案内看板に書かれているのは
『責鞍の滝 (ドウドさん)』
『天文12年(1543)大内軍撤退の際一武将兵頭討死を慎み地元民により祀る』

滝の説明看板には
『ここは昔筑陽川今の意東川の上流である。この滝は古くは責鞍の滝と呼んだが、
地元では「ドウドウさん」といった。昔、武士がこの滝壺に落ちて死んだ、その馬のくつわを
祭ったのが、この祠であるとつたえる。この滝壺には耳の生えたウナギが住んでいるという。
旱天でここの水がなくなるとそのウナギが現われ、待望の雨を降らすということである』
(祠は平成11年に再建されています)


「水のまつり」では【伝承に見る水と馬と神】の章に一例として「せめくらの滝」が書かれています
ですので武士ではなく「その馬のくつわを祭った」が重要になるのはわかりますが
何度読んでも三宅先生の考察が、私にはよくわからないです

もともと古代信仰があり、祠が先に祀られていた場所で、事件が起きたか、
物語として武将の話が付け加えられたのなら納得できます

単純に、なぜ祀られているのが「自害した武将」でなく、乗っていた「馬のくつわ」なのでしょうか

祠があり伝承されていますので、何かがあったは違いないと思います
天文12年は約480年前、伝承が活字化された「意東村史昭和23年」からだと405年前の出来事です
一世代25年で計算すると16か17世代の伝承になり、最低16回は伝言ゲームのように
人から人へ受け継がれたことになります



参考資料
山陰民俗39号
意東庄(いとうのしよう)とは - コトバンク
尼子経久とは - 戦国未満




近くの名所

安来市 月山富田城跡



出雲金刀比羅宮



黄泉比良坂



八重垣神社



松江城



玉作湯神社



由志園




【島根県 郷土料理 ご当地グルメ1】



























掲載の写真、図表、文章などの無断転載を固くお断りいたします
 copyright©2006 Unashige all rights reserved
8-8頁