うなぎ雑学




うなぎ信仰 関東地方


伝説

岡田山 永昌寺
神奈川県厚木市岡田


岡田はもともと「上岡田村」「下岡田村」という村の一部にあたる地域でした
江戸時代には大住郡に属し、東を相模川が流れ、南は酒井村、西は船子村、北は厚木村に接していました
相模川右岸の低地にあり、昔の相模川や玉川の流路に沿ってできた
自然堤防の上に旧集落が発達しました 昔から洪水と隣り合わせの場所です

岡田山 永昌寺は相模原市の功雲寺の末寺で当初は観音堂で、貞応2年 (1223年) に補陀落院、
元徳元年 (1329年) に桂林寺、永正17年 (1520年) に永昌寺に改称
永昌寺は別名鰻観音と呼ばれています



※新編相模国風土記稿に永昌寺が書かれています
永昌寺
岡田山と號す、曹洞宗【津久井縣根小屋村功雲寺末、】古は觀音堂なりしが貞應二年、密宗の僧待翁と云者寓居して堂を補陀落院と號す、待翁卒後桂林と云僧村内地蔵堂【今廢し、本尊は當寺に置、】に住せしが、元徳元年此堂に移住す【地蔵堂を兼帶す、】是より土人桂林寺と稱せり、其後衰廢せしに豆州蔵春院の住僧湖翁能音、兵亂を避て當寺に錫を止む、此時村民四人【高橋・細野・石井・飯島等の四氏なり、今に子孫村民たり、但細野氏祖先は石見守と稱し、北條氏の臣なりしと云、】力を合せ、堂宇を造營して能音【本寺七世、天文三年十一月十五日卒】を開山とし、今の宗派に改め、且山寺號をも改稱す、是永正十七年九月なりと縁起に見えたり、
※本尊正観音【長一尺七寸、運慶作、鰻觀音と號す(呼ぶ)、是は古村内悪水堀より數多の鰻境内に来り、
本尊を禮拝するが如し、依て此號(この呼び名)ありと云、今も彼堀を鰻堀と唱へり】

※大日本地誌大系より

※訳 本尊は正観音 長一尺七寸 運慶作 鰻観音と呼ぶ これは村内の排水用水路から沢山の鰻が境内に来て
本尊を参拝し拝むようだった だからこの呼び名があると言う 今も排水用水路を鰻堀と声にして言う

※新編相模国風土記稿(しんぺん さがみのくに ふどきこう)は、江戸時代後期に江戸幕府が編纂させた、
相模国一円の地誌です
※大日本地誌大系は、江戸時代の各地の地誌や風土記をまとめて復刻・編集した大型叢書です



これから生まれた伝説だと思います
水神様の使い

昔、相模川が洪水の時、鰻が濁流から逃れ、清水を求めて掘を上り、
永昌寺の境内に集まりました
それ以来、村人は鰻を水神の使いとして崇めたと伝えられています




参考資料
厚木市ホームページ
国土交通省ホームページ

国立国会図書館
大日本地誌大系 第38巻 新編相模国風土記稿. 第1至5
卷之四十五 大住郡卷之四糟屋庄/1 四頁
森比左志著 神奈川の伝説






近くの名勝や名物

相模川



相模三川公園



寒川神社





鮎の塩焼き



とん漬



厚木のホットドッグ







































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