江戸前風と関西風の違い考
歴史のページで、少し書きましたが、蒲焼は江戸でも始めは、すべて関西風の蒲焼だったのが、現在の関東風の蒲焼に変わってきました。
なぜ、関西風の地焼きから関東風の蒸す蒲焼に変わったのか以前は疑問に思っていました
先日、江戸時代後期の「江戸での蒲焼の値段」を調べていました。
調べたと言っても私の場合いは元本を読む事はできないので今まで出版された現代語訳の二次文献を読むのですが、値段に関する資料はどの本を読んでも『近世風俗志』に書かれているものしか見当たらず、「物語」の中でに蒲焼屋の場面で登場するのが2点、道中記で1点のみ知る事ができます。
面白い事に3点とも一人前で計算すると二百文になっていました。
(「そば」は十六文、「そば」を仮に400円とすると、蒲焼が5000円、そば500円だと6250円)
資料的には『近世風俗志』が使えるでしょうが、この『近世風俗志』の鰻関係に関しては、鰻屋から見ると理解しがたいものや完全な誤記と思われる物もあり、頼ってしまうと思わぬ落とし穴がありそうでいつも悩んでいます。
資料的には信頼度がさらに低くなるのでしょうが物語で出てくる値段までも全て同じと言うのがどうもうなぎ屋として納得ができません。
例えば、
当時すでにウナギの産地による優劣や個体による優劣が認識されていたと思うのですが、売値は変わらないのか?
ウナギ屋自体の格と値段は関係ないのか?
一人前の量の解釈で お客が自分で生きたウナギを選び調理させるのはわかりますが、天然で一匹が一人前なのか?
(小さいウナギは「筏」として何匹かで一人前とするのは判ります)
お客に選ばれずに残ったウナギは「放しウナギ」として買われていったのは判りますが、もし一匹が一人前でないとすると、大きな天然ウナギの時の残りはどうやって売っていたのか?
などと売る側として、食材のロス単価や能率を気にして売値を考えていました
特に一匹一人前より大きなサイズを考えていた時に、思いついた事です。
その思いついた事で今まで悩んできた疑問
どうして、関西風は腹開きで関東風は背開きなのか?
どうして、関東では関西風から関東風に変わったのか?
どうして、関東風は蒸すのか?
などがすべて解決される答えがでました。
うなぎ屋でありながら「蒲焼」に対しての固定概念があまりにも頭にしみこんでいたので、わからなかったのでしょう
「蒲焼の関東と関西の主な違い」
(関東風) (関西風)
背開き 腹開き
蒸す 蒸さない
鰻が小さい 鰻が大きい
白焼きで皮側をよく焼く 白焼きで身側をよく焼く
短い竹串 長い金串
関西圏にも進出 関東圏にはあまり進出しない
入荷があれば、天然物を 殆んど天然物を扱わない
扱う店がある
などがあり、提供する側として一つずつ考えて見ます
「白焼きの違い」
やはり、違いと言うと「蒸す、蒸さない」が一番の違いだと考えますが
身質が非常に柔らかくなりましたので「関西風は硬い」というイメージは一昔前の経験が多いのではないでしょうか。
右の5の写真は「うなぎ情報館」で比較されているどれも関西風の蒲焼の写真です。 (イ)と(ハ)が炭焼きで(ロ)と(ニ)が冷凍の蒲焼ですから、たぶん(ロ)と(ニ)は機械で焼かれた蒲焼なのでしょう「蒸し」「金串と竹串」
関東風でも、江戸時代は蒸していなかったと思います。
そこで短い竹串が登場します「腹開きと背開き」
蒸す以外にこの腹開きと背開きが東西での違いのように言われていますが、関西圏でも背開きを行なう地域は今も昔も大阪以外ではかなりあるようです。


左は腹開き、右は背開きで、矢印の場所に串を刺していくのですが、腹開きでは内臓がある腹の部分の外側が薄くなり、ただでも打ちにくい竹串ではなかなか刺さりませんし、仮に串を打ったとしても、白焼きをした後に蒸せて軟らかくすると今度は蒲焼をしている最中に落ちやすくなってしまいます。 「うなぎの大小」
「江戸前風は関西圏にも進出」
現在は養鰻技術の目覚しい飛躍でサイズの揃った品質も同じウナギを供給する事ができますので、返って関西風には良い条件になっていますが、それ以上に関東風が能率的には優っています。
やはりそれが、関東風のうなぎ屋が今でも関西圏にも進出している原因ではないでしょうか。 仕事の能率は直ぐに人件費に関わってきますし、また一人前を一串または二~三串という端数の出ない関東風との違いもあるかもしれません。
関東で関西風の店がなかなか無いと言うのも同じ理由だと思います
「固定概念が推測の妨げになっていた」
ウナギとコイは他の魚や肉と違い生きていなければ、美味しくありません。
ですから世間ではその場で生きた鰻を割いて調理する為「美味しい鰻屋は時間が掛かる」とかよく言われています。
確かにその場で割きから始めた蒲焼は同じ素材なら美味しいのに間違いはありません。
では商売となるとどうでしょうか?
現にそうしている店もありますが、どうしても蒲焼の単価を高くしなければ商売にはなりません
提供時間も、他の注文が無く、お客さんが注文してすぐに割き始めれば1時間~で出来上がりますが、実際はお客さんの注文はご飯時に集中してしまいますので、お客さんの数に合わせて板前の人数と設備を増やさなければ1時間位で出来上がると言うのも難しくなります
実際はほとんどのうなぎ屋さんでは、お客さんが来店する食事時に合わせて、その時だけはそれぞれの店が下準備を進めています。
現代の鰻屋での待ち時間 ( )は注文してからの待ち時間
個体差で蒸し時間が10分~40分と違いがあるのでおおよその目安です。
軟らかい新仔をは別にすれば、平均すると15~30分ぐらいで蒸しあがります
関東風の店では下準備の進め方で
1、何もせずお客の注文でウナギを裂きはじめる
(約1~2時間以上)
2、ウナギは割いておき、注文が入りしだい白焼きから始める
(約40分~60分以上)
3、白焼きまでしておき、注文が入りしだい蒸し始める
(約30分~50分以上)
4、食事時の時間にあわせ、蒸しておき注文が入りしだい本焼を始める
(約4分~15分)
その店の経営者の判断で行なわれていますが、普段は「3」で営業し、忙しい時間帯だけ「4」にする「3」と「4」の併用の店がほとんどです。
もちろん少数ですが「1」「2」の高級な店もあります。
関西風の店で下準備の進め方というと、やはり関東と同じですが「蒸す」という作業がありませんので「3」と「4」は一つになります。
ここで注意していただきたいのは確実に「その場で割きから始めた蒲焼は同じ素材なら美味しい」のすが、だからと言って、「注文して、早くでてきた蒲焼は不味い」と言うことではありません。
どこのうなぎ屋さんも食事時に合わせてその店にとって一番よい出し方をしているでしょうし、返って寿司屋さんのように回転率がよい店ほど新しく良い物を提供していると思います。
(同じ活きていても、回転率が速い活鰻の割きたてにはかなわないですが・・・)
先日テレビ番組で料理評論家さんが「昔は鰻屋のようにファーストフードの反対のスローフードの食文化うんぬん」と話していましたが(すいません、この料理評論家があまり好きでなく良く見ていなかったので憶えていません) 本当にそうであったのでしょうか?
私は「昔の全てのうなぎ屋は皆時間を掛けてお客を待たせた」と言う誤解をしていたのではないかと思います。
高級な鰻屋は時間を掛ける事で間違いは無いのでしょうが、それ以外の多数の鰻屋、ことに東京では調理技術や、道具を進歩させて江戸の子の気質に合わせた時間を掛けない蒲焼が大衆には受け入れられていました。
余談になりますが、あと一般に知られる、疑わしき固定概念として
「うなぎ屋は臭いでお客を集める為にわざと道沿いで蒲焼を焼く」などと言う間違った解釈をよく耳にしますが、実際は「換気扇」が普及するまでは店の真ん中や奥で蒲焼はおろか白焼きも焼けません。
ですのでうなぎ屋の店の構造と言うものは店の入り口の横には必ず調理場があり大きな窓を造って煙や油を外へ出すような形になっています。
結果として美味そうな臭いが街中に漂うわけで、臭いで集客する為の店の構造ではありません。
(家庭でも七輪で魚を焼く時はよく外で焼いていましたよね)
あと「鰻は尻尾が美味い」というのも私には可笑しな話に感じてなりません。
「経営面的な考え方」
江戸時代は100%天然うなぎを使用していたのですから、軟らかくする事でそれまで人気の無かった大きなウナギ特に秋口の下りウナギや硬いウナギまで使用する事が可能になりました。